私がカウンセリングで目指すもの とあるドラマを観て

「善人になること」を、カウンセリングのゴールにしない

海外ドラマを観ていて、妹への嫉妬から虐待を繰り返す子どもの話が出てきた。

その子は、妹を傷つけたことについて「快感があった」と認めていた。

それを観ながら考えていた。

もし本当に、他人を傷つけることに快感を感じる人がいたとして。

カウンセリングは、その人を「他人の痛みに心を痛められる善良な人」に変えなければならないのだろうか。

私は、そこにはかなり懐疑的だ。

そもそも私は、カウンセリングで人を「善人にしたい」と思っていない。

感情と行動は、同じではない

「他人が苦しむと楽しい」

もし本人の中に本当にそんな感覚があったとしても、まず私は、それ自体を「そんなことを思ってはいけない」と否定することにはあまり意味を感じない。

だって、実際にそう感じているのだから。

そこで「かわいそうだと思いなさい」と教えて、本人が「かわいそうだと思います」と答えられるようになったところで、本当に内面が変化したのか、正解を覚えただけなのかは分からない。

それより私は、

「そう感じる自分がいる」

というところから始めたい。

大切なのは、

加虐性があることと、実際に人を傷つけることは同じではない

ということだと思う。

傷つけたい。

でも、傷つけない。

その間には、本来たくさんのものを置くことができる。

自分の特性への理解。

衝動が強くなる状況の把握。

その場から離れる方法。

行動した先に起こる結果の予測。

自分にとって守りたい生活や人間関係。

代わりに満たせるもの。

そして、自分一人では制御できない時に助けてもらえる環境。

内側から自然に「かわいそうだからやめよう」が湧いてこなくても、別のルートから「やらない」という選択には辿り着ける。

最初は「外付けのブレーキ」でもいい

特に子どもなら、本人の意思だけですべてを制御できなくても当然だと思う。

だったら最初は、大人が環境を作ればいい。

危険な相手と二人きりにしない。

衝動が起こる場面を減らす。

行動に移る前に大人が介入する。

本人の中にまだ十分なブレーキがないなら、まずは周囲がブレーキになる。

そして少しずつ、

環境に制御してもらう段階から、自分で自分を制御できる段階へ。

それも立派な成長だと思う。

「善人になったか」ではなく「自分を扱えるようになったか」

もちろん、カウンセリングや人との関わりの中で共感性そのものが育つこともあると思う。

他人の痛みに気づけるようになることもある。

それは、とても良い変化だと思う。

でも私は、それを必須条件にはしたくない。

人間には、生まれ持った気質もあれば、脳の特性も、育った環境も、経験によって身についた反応もある。

全部を「一般的に望ましい人間」に作り替えなくてもいい。

変えにくいものがあるなら、それがあることを前提に生き方を設計すればいい。

「人を傷つけたくないと思える人」だけが社会で生きられるのではなく、

「傷つけたい衝動が自分にはある。でも、それを実行しない方法を知っている」

という人も、他者を侵害せず生きることはできる。

私がカウンセリングで目指したいのは、たぶんこちらなのだと思う。

その人を「正しい人」に作り替えることではなく、

その人自身の構造を知り、その構造を持ったまま、自分と他人をなるべく傷つけずに生きられる方法を一緒に探すこと。

「あなたはそう感じてはいけない」ではなく、

「あなたはそう感じるんだね。では、そのあなたがどう生きればいいかを考えよう」

私は、そんなところから人と関わりたい。

善人になることより、

自分という人間の取扱説明書を持つこと。

そして、自分で自分を扱えるようになること。

私はそちらの方が、ずっと現実的な「社会復帰」や「成長」だと思っている。


以上が、私の考え方のご紹介になります。

  • このブログの記事は「岩下瞳」が書きました。

    自身も3人の子を持つ母です。 仕事・家事育児で毎日ドタバタしています。 そのため働く女性や、家事育児に忙しい女性に寄り添った提案や施術を心がけています。 私も数年前に子宮頸癌の中度病変の診断を受けファスティングとよもぎ蒸しで回復に至った経験があります。 その経験を元にお話しできることや、相談できることもあるのでお気軽にご相談下さいね。

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