私の考え方 1番大切にしている「あなたの物語」について

私は、あなたの物語の「作者」にはなりたくない

私は、人の話を聞くとき、その人の人生をひとつの「物語」のように捉えることがある。

もちろん、人生は綺麗なストーリーではない。

理不尽なことも起きるし、伏線なんて回収されないこともある。

間違った選択もする。

同じところを何度もぐるぐる回ることもある。

それでも、その人が何を見て、何を感じ、なぜその選択をしたのかを辿っていくと、その人にしか書けない物語が見えてくる。

私は、そこにとても興味がある。

外から見れば「なぜ?」と思うことにも、その人なりの理由がある

人の行動だけを切り取れば、

「なんでそんな人と一緒にいるの?」

「なんで断れないの?」

「なんでまた同じことをするの?」

「普通はこうするでしょう」

と思うことはたくさんある。

でも、その人の物語を最初から読んでみると、見え方が変わることがある。

この人は、何を怖いと感じるようになったんだろう。

何をすると安心できたんだろう。

子どもの頃、どうやって自分を守っていたんだろう。

どんな人間関係を経験してきたんだろう。

何を得たくて、その選択をしたんだろう。

そこに愛着やトラウマ、発達特性、認知の癖、身体の反応などの知識を重ねていく。

私は心理学的な構造を知ることを、その人を分類するための「ラベル」だとはあまり思っていない。

むしろ逆だ。

その人の物語を、その人の目線に近い場所から読むための情報だと思っている。

私が知りたいのは「正解」より「何のために?」

私はカウンセリングで、その人の選択が正しかったのか間違っていたのかを判定したいわけではない。

それよりも、

「何のために、その選択をしたんだろう?」

を一緒に探したい。

誰かに執着しているなら、その人そのものではなく、その関係から何を得ようとしているのかもしれない。

人を支配したくなるなら、支配の先に「安心」があるのかもしれない。

断れないなら、「嫌われないこと」が自分を守る方法だったのかもしれない。

怒り続けているなら、その怒りによって守っているものがあるのかもしれない。

行動には、その人なりの目的が隠れていることがある。

それが見えてくると、

「なんで私はこんなことをしてしまうんだろう」

だったものが、

「私はこれが欲しくて、この方法を使っていたのかもしれない」

に変わる。

そうすると初めて、

「じゃあ、それを得る方法は本当にこれしかないのかな?」

と考えることができる。

作者は、あくまで本人

だから私は、その人の人生に対して、

「こう生きた方がいい」

「この人とは別れた方がいい」

「こう考えられるようになりましょう」

と、勝手に続きを書きたくない。

私が良いと思う結末と、その人が望んでいる結末が同じとは限らないから。

その物語を書いているのは、私ではない。

作者は、あくまで本人だ。

私はたぶん、編集者ですらない。

もう少し離れた、

その物語をものすごく興味を持って読んでいる「読者」や「ファン」に近いのだと思う。

「ここまで、どうやって生きてきたんだろう」

「このとき、本当は何を守ろうとしていたんだろう」

「この選択には、どんな意味があったんだろう」

そうやって、その人が書いてきたものを一緒に読み返していく。

すると本人にも見えていなかった一本の線が見つかることがある。

一見すると失敗にしか見えなかった行動が、当時の自分を守るためには必要だったこと。

何度も繰り返してきたパターンに、ずっと同じ願いが隠れていたこと。

本人が「弱さ」だと思っていたものが、実はその時代を生き抜くために身につけた方法だったこと。

私は、そういうものを見つけるのが好きだ。

理解できれば、続きを選べる

過去を書き換えることはできない。

でも、

「なぜ自分はこの物語を書いてきたのか」

が分かれば、これから先の選択肢は増やせる。

今までAという方法しか知らなかった人が、

「欲しかったものはAではなく、その先にある安心だった」

と分かれば、BやCという方法を選べるかもしれない。

私はカウンセリングを、

誰かに正しい人生を教えてもらう場所ではなく、

自分の物語を、自分自身が理解していく場所

にしたいと思っている。

そして私は、その隣で一緒に物語を読む。

分からないところがあれば、心理学や身体、発達などの知識を使って、

「もしかしたら、この場面にはこういう背景があったのかもしれないね」

と材料を渡す。

採用するかどうかは、作者が決めればいい。

そして続きをどう書くかも、作者が決める。

私はその人の人生を書きたいわけではない。

その人にしか書けない物語が、私は読みたい。

だから私は、作者にならずに、その人の物語のそばにいたいと思っている。