キャメスのブラッシュアップで思ったこと前半

過去を掘ることだけが「深いカウンセリング」なんだろうか

カウンセリングを学んでいると、よく「過去」に向かう。

幼少期の体験。
親との関係。
インナーチャイルド。

今の自分が生きづらいのは、過去に何かがあったから。
その原因を見つけ、癒すことで現在も変わっていく。

もちろん、私はこの考え方を否定していない。

実際、過去を振り返ることで初めて「だから私はこんなに苦しかったのか」と理解できたり、長年抱えてきた感情がほどけたりする人もいる。

そういう人にとって、過去を扱うカウンセリングはとても大きな意味を持つと思う。

ただ最近、私は一つの疑問を持つようになった。

過去を掘ることだけが、本当に「深い」カウンセリングなんだろうか。

 

人間なら、掘れば何かは出てくる

私たちは、生まれる環境を選べない。

親も選べない。
きょうだいも選べない。
学校で出会う人も選べない。

そして、どんなに恵まれた環境で育ったとしても、人と人が関わって生きている以上、一度も傷つかず、一度も理不尽な思いをせずに大人になることは難しい。

だから過去を掘っていけば、たぶん誰にだって何かはある。

寂しかったこと。
我慢したこと。
分かってもらえなかったこと。
本当はこうしてほしかった、という気持ち。

でも私は最近、

「傷が見つかったこと」と「その傷を治療する必要があること」は、同じではないのではないか

と思うようになった。

過去に傷ついた経験がある。

だから、そこを癒さなければならない。

この二つの間には、本当はもう一つ問いが必要なのだと思う。

「その過去は、今のその人の自由を奪っているのか?」